子ども脱被ばく裁判控訴審第3回期日のご報告

2022年6月4日土曜日

お知らせ 裁判期日 新着

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控訴審第3回期日の報告

 5月18日に開かれた子ども脱被ばく裁判第3回控訴審期日の報告です。今回も多くの支援者が駆けつけてくださいました。心から感謝いたします。
 引き続きのご支援をお願いいたします。

写真をクリックすると当日の写真をスライドショーでご覧になれます。
 

◆当日動画一覧


※学習会資料のダウンロードはこちらから(PDF)→https://drive.google.com/file/d/1hFqibSTHmOEmtIdl93HGVUT0IbIcIVHt/view?usp=sharing

第3回控訴審 報告 共同代表 水戸喜世子

《ミニ集会とデモ》

真っ青な五月晴れの太陽が眩しい!5月18日午前11時、仙台市中心地にある元鍛冶丁公園めざして関東はじめ、関西,福島、富山など各地から約50名の参加者がかけつけた。みやぎ連絡会・服部さんの司会でミニ集会が始まった。 

 共同代表、原告、弁護団からの挨拶があって、今日の裁判闘争の意義と行動を意志一致して、いよいよデモに出発。井戸弁護士は段ボール板に「子どもを被ばくさせるな」と手作りのプラカードをご持参になっていた。光前弁護士は、捻挫された足を引きずりながらの根性の参加だ。両弁護団長そろい踏みのデモとなった

最前列の横断幕を掲げるのは今野さんらふたりの原告に井戸弁護士、光前弁護士。思い思いのプラカードや旗でカラフルなデモ隊だ。もうおなじみとなった立石美穂さんのコールで、『子どもを被ばくから守ろう』の訴えが街行く人々に届けられる。いまだコロナ下だからリフレインはなし。「なるこ」という小道具で呼応する。

 若い原告さんが平日に参加することは困難で、この日も参加者は3人だった。身体的理由からデモ参加できないSさんは会場待機。原告さんのお顔を見ると参加者一同励まされ、元気づけられる。デモ隊は気持ちを一つにし、高揚させながら、正午には良覚院丁公園に到着して解散した。

《学習会「3.11こども甲状腺がん裁判がめざすこと」》

 午後からは中継も兼ね備えた学習会が設定され、「3.11こども甲状腺がん裁判がめざすこと」をテーマに井戸弁護団長からお話を聞いた。44枚のスライドの内容は6人の若者がどんな症状に苦しみ不安や悩みを抱えているか、実情が伝えられ、その上でこの裁判の争点は因果関係と賠償額になるだろうと語られた。裁判の相手は東電であるが、見えない敵、国とも私たちは闘わねばならない。

甲状腺がんの原因は原発事故による内部被ばくに由来することは明らかで、根拠を二十枚近いスライドで示されたが、本来『被ばく影響ない』とする東電こそが『甲状腺がんは被ばくとは無関係である』ことを立証すべきであり、立証出来なければ、放射線との因果関係を否定できないとする論理を採用することの理が語られた。

最後に、クラウドファンディングを通して予想を上回る支援が寄せられたと感謝の報告があり、支援者から書き込まれた“若者に申し訳ない”と記した多くのメッセージが原告への励ましとなっていると語られた。 第1回期日5月26日を目前にした貴重な学びの機会であった。学習会参加者は約65名であった。

《法廷でのやりとり》

 裁判前、仙台高裁への署名提出が行われ、3384筆も集まった署名用紙の束を抱えた原告を拍手で見送った。午後2時過ぎ、仙台高裁で傍聴者の抽選に約60人が参加、自主的に譲り合って、39名が入廷した。弁護団席は5名(田辺弁護士欠席)、原告席は3名だった。3時定刻に開廷した。マスコミ席は共同通信のみ。掲載記事はあったのだろうか。 

 弁護団からは地裁判決が適法とした行政による裁量の逸脱行為が如何に憲法と国際人権法に違反し、基本的人権を侵害するものであるか、柳原弁護士が10分に要約して陳述された。

同様に法の不備を追求するものとして、井戸弁護士が学校における環境衛生基準を取り上げられた。環境基本法では、放射性物質のように閾値がない物質の場合、生涯摂取した時に、十万人に一人の死者が発生する量を限度と決めて基準値を設けているが、年間1mSvはその350倍に相当し、年間20mSvの環境に子どもを放置することはありえないと主張し、法を空白のまま、放置する国の怠慢を鋭く追求した。

 光前弁護士は、安全な環境での義務教育を求めて争ってきたにもかかわらず、子ども原告(控訴人)全員が来春中学卒業に伴い人権裁判の訴訟資格が消滅するという不可抗力な理由の為に、結論を見ないまま終結するのは無念であるとして、新たに「安全な環境での教育を受けられなかったことによる損害賠償を要求する」訴訟を追加したいと主張した。何と筋の通った主張であることか!

これについて、裁判長は趣旨は理解するが認められないと、不当にも却下したのである。真実の解明途上にある案件を解明しないまま、うやむやに闇に閉ざしてしまうという責任放棄の選択をしたのである。弁護団の救済策を歓迎できない裁判長に心底失望した

原告Sさんの陳述で法廷は締めくくられた。福島市に住むSさんはもともと病気を抱えているところに、原発事故が追い打ちをかけた。健康を害した子どもと自分自身、そして母親を抱えて避難もできずに、耐え続けた日々だった。裁判に期待をかけたが信じられないような地裁判決に唖然とした。しかし子どもを支えに頑張ろうと思っているので、高裁判決は裏切らないでほしいと陳述された。

今回で原告側の主張はすべて終了し、次回は証人申請に入る予定である。不当にも追加の訴訟が認められなかったことによって、この裁判は大きな岐路に立つことになった。

《4時から記者会見と報告集会がST会議室ビル6階で行われた》

抽選で傍聴できなかった方たちの為にも弁護団から法廷の報告があり、原告Sさんから陳述の思いが述べられた。会場には約80名、オンラインで約20名の方が参加された

〇会場からのアッピール

・東電刑事訴訟団から武藤類子さんが6月6日を拙速に結審としないで損害賠償訴訟での最高裁判決や株主訴訟の結果を見て審議を尽くすよう求めていること、署名にさらに協力してほしいとの要請があった。

・これ以上海を汚すな!市民会議・大河原さきさんからは、汚染水の海洋投棄は福島県民との約束違反であり、あくまでも反対を訴えていくとして「これ以上海を汚すな、市民会議」の取り組みに注目し、参加するように要請があった。

・支える会東日本の会員・前澤さんからは砂川事件国家賠償訴訟に注目をしてほしいと訴えがあった。次回は6月27日2時東京地裁。

・津島原発訴訟の大塚正之弁護士からは不当な被ばく行政から何としても子どもを守らねばならないと、力強い連帯の発言をいただいた。

最後に今野原告団長の閉会のあいさつで終了した。今回も仙台の市民運動のスタッフの皆さんに多大なご支援をいただき、期日を無事終えることが出来ました。記して厚くお礼を申し上げます。  

第3回口頭弁論期日報告 弁護団長 井戸謙一


 抜けるような青空の下、仙台高裁で第3回口頭弁論が開かれました。今回も、地元から、遠方から、多くの方が支援に駆けつけてくれました。
今回、私たちは、3通の準備書面を陳述しました。1通目は、行政裁量論を述べたものです。福島原発事故のあと、法律の根拠もなく行政が次々と打ち出した措置(情報隠蔽、安定ヨウ素剤の服用指示の見送り、学校再開、放射能安全宣伝等)が行政として許される自由裁量の範囲で行われたものではなく、裁量の逸脱ないし濫用であって、違法であると主張したものです。
 2通目は、訴えの追加についての意見を述べたものです。私たちは、子ども人権裁判(行政訴訟、現在の危険な環境下で教育をしないことを求める請求)において国家賠償請求(危険な環境下で教育しないことを求めたにもかかわらず、それを無視されたことによる慰謝料請求)を追加することを申し立てていますが、これについて、被控訴人らからこの追加が不適法だとの意見が出ていることに対して、適法であることを主張したものです。
 3通目は、基礎自治体(市町村)は、放射性物質についてのあるべき環境基準に基づいて子供たちを被ばくから守るべきであることを述べたものです。学校に通う子供たちは文科省が定める学校環境衛生基準によって、一般の市民は環境省が定める環境基準によって毒物や公害物質から守られていますが、未だに放射性物質については、学校環境衛生基準も環境基準も定められていません。放射性物質についても、他の毒物や公害物質と同じレベルで基準が設けられ、子どもたちの健康が守られるべきです。現在の放射性物質についての基準(年1ミリシーベルト、年20ミリシーベルト)は、他の毒物や公害物質と比較すると、とんでもなく緩い基準なのです。神里達博千葉大学教授は、ベンゼンに対する規制と放射性物質に対する規制に実質1000倍の差があると指摘しておられます。菅野純国立医薬品食品衛生研究所部長は、放射性物質の食品規制値が化学物質の規制値との間に1万倍の違いがあると指摘しておられます。私たちの計算では、他の毒物や公害物質についての基準と比較すると、年1ミリシーベルト基準では350倍、年20ミリシーベルト基準では7000倍緩いことになります。このようなことを紹介し、被控訴人である基礎自治体(福島市、郡山市、いわき市)は、他の毒物や公害物質に対する規制と同じレベルで子どもたちを守るべきであると主張しました。
 裁判所は、被控訴人らに対し、控訴人らのこれらの主張に対する反論をするよう求めました。被控訴人らは、消極的ではありましたが、検討を約束しました。
以上で、私たちは、控訴審で予定していた主張を基本的に終えましたので、次回には証人尋問の申請をしたいと考えておりました。
 ところが、裁判所は、子ども人権裁判における訴えの追加について、これが不適法であり、許さないとの判断をしたのです。子ども人権裁判の原告(控訴人)であるためには、福島県内の公立の小中学生であることが必要です。控訴した5名の子どもらのうち2名は今春に中学校を卒業してすでに原告の資格をなくしており、3名は、来春に中学校を卒業して原告の資格をなくしてしまいます。訴えの追加が許されない以上、このままでは来年の3月が過ぎると判決を受けることができなくなってしまいます。
 弁護団としては、少なくとも子ども人権裁判については、裁判所が来年の3月までに判決が言い渡せるよう戦略を練り直したいと考えております。引き続きご注目ください。
以上

控訴人意見陳述

私は、福島市内で、大学1年生の長男と高校1年生の次男と母と4人で生活しています。原発事故前からギランバレー症候群に罹患していましたが、事故後悪化し、杖を手放せなくなりました。また、事故から1年が経過したころから、急性貧血になり、昼過ぎまで布団から起き上がることができない状況が続きました。そのころ、母も精神的に不安定になり、定期的にカウンセリングに連れて行かなければならず、大変でした。私は、今でも、定期的に鉄剤の点滴を受けることが欠かせません。障害年金を受給しながら、障害者の就労支援の事業所で働いています。母も高齢で働けないため、生活は経済的に大変厳しい状況です。

事故後子どもたちの体調が悪化し、被ばくを避けるため子どもたちを連れて避難しようとしましたが、結局避難できませんでした。そのいきさつは陳述書(甲F第4号証)に記載しましたのでお読みください。

事故前、子どもたちは、元気でした。ところが、事故後しばらくしてから、異常な鼻血を出したり、体中に発疹が出るようになりました。元気がなくなり、食が細くなりました。特に次男はひどく、「くさ」と呼ばれる皮膚病になったり、口の端が切れて食べ物が食べられなくなったりもしました。
それでも、長男は、少しずつ元気になっていきましたが、次男は、事故後6年目ころに、こんどは「起立性調節障害」にかかりました。朝起きることができず、これに加えて、腹痛、鼻血、頭痛、不眠、動悸、息切れ等の症状が出るのです。そのため、次男は、中学校の3年間は、1年生の1学期を除いて、ほとんど通学できませんでした。また、最近、次男から、自分にはパニック障害の症状があると打ち明けられ、心配しています。近く精神科に連れていくつもりです。

この春、長男は仙台の大学に進学しました。福島市から毎日、往復3時間をかけて通学しています。次男は、福島市内の通信制の高校に進学しました。バイクが好きで、将来はバイクのエンジニアを目指しています。二人とも、福島には居たくないと言っています。
一審判決を聞いたとき、私はあり得ないと思いました。裁判所は何もしてくれないのだと思い、落胆しました。よく「子供は宝物だ」などというけれど、それは口先だけのことでしょうか。子どもは何も言えません。大人に振り回されながら耐えています。大人が子供を守らなければ、子どもの未来はありません。

私は、息子たち、とりわけ次男の体調不良は、被ばくが原因だと思っています。事故前は病気と縁がなく、本当に元気な子供だったのです。私は、避難しようとしてできませんでした。息子たちに申し訳ない思いでいっぱいです。
次男が中学を卒業するとき、私に手紙をくれました。それには、「自分は病気がちで中学校もほとんど通えなかったけれど、恥じていない。ママは、僕たちのために、どんなときも頑張ってくれている。迷惑をかけるけど、これからもよろしくお願いします。」と書いてありました。私の宝物です。

一審であんな判決が出て、いろんな感情が渦巻いています。しかし、へこたれてはいられないと思って、私は、ここに立っています。
裁判所におかれては、どうか、臭いものに蓋をしないでほしい。子どもたちが未来に希望を抱くことができる、そんな判決をしてほしいと心から願っています。
以上

報道

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