子ども脱被ばく裁判 控訴審第2回期日の報告

2022年2月18日金曜日

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 控訴審第2回期日の報告 


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裁判の会からの報告

晴天の下、第2回控訴審期日が開かれました!

 214日、晴天の仙台市に子ども脱被ばく裁判弁護団、原告、支援者が集まり、アーケード街を練り歩くデモから、第2回控訴審期日が始まりました。デモには約50人が参加。今野寿美雄原告代表と井戸謙一弁護団長からの挨拶のあと、生田まんじさん作詞作曲の子ども脱被ばく裁判応援歌「雨に立つ人」が披露され、参加者の表情はさらに明るくなり、デモは出発。コロナ禍のためシュプレヒコールはありませんが、デモコーラーの張りのある声が、道行く市民に「子ども脱被ばく裁判」の思いをしっかりと伝えていました。

前段集会では井戸弁護団長から争点の説明、意見陳述を行うAさんからは意気込み、また今回仙台に来ることができなかった原告・長谷川さんからも弁護団支援者への感謝の言葉が述べられました。

 傍聴席39席を求めて57名が並び、1430分開廷。約30分間の審議となりました。意見陳述は「原子力防災」の法体系があったにもかかわらず、国や福島県がその手続きに従わず、住民に被ばくを強いた事実を次々と取り上げ、実に説得力のあるものでした。石栗正子裁判長が何か思い巡らすような表情で聞き入っていた姿が印象的でした。

 会場の仙都会館では、再び生田さんの歌が披露され、午後の集まりが始まりました。記者会見や報告集会では今後の裁判の進め方、とりわけ証人尋問の予定や、甲状腺がん患者6人による訴訟との関連についての質問が出ました。これらを含め、弁護団長による期日報告に詳細に書かれていますので、ぜひお読みください。住民の健康被害をあくまでも認めようとしない国の姿勢に鋭く切り込もうとしている弁護団の渾身の闘いを共有したいと思います。また東電福島原発事故から11年目が過ぎようとしている今、年間被ばく線量20ミリシーベルトがどのように変えられていくのか、避難区域がいつ解除されていくのかなどの情報交換も行われました。集会の最後、大崎耕土を放射能汚染させない連絡会事務局、芳川良一さんから、煙突から放射能が漏出していることを立証するための測定に多くのカンパが寄せられたことへの感謝と報告、井戸弁護士より、がん患者の存在を否定する環境大臣に対して、「311子ども甲状腺がん裁判」弁護団が抗議文を送付したこと、また今後の支援のお願い、49日、会津若松市で開かれる井戸弁護士講演会の案内がありました。芳川さんからの報告は別途HPに掲載しましたので、ご覧ください。→https://kodomodatsuhibaku.blogspot.com/2022/02/blog-post_16.html

当日のオンライン参加者は延べ人数で81名、延べ会場参加者は100名。コロナ禍の今、初めての参加者を含め多くのみなさんにご参加いただいたことは、大きな励ましです。翌日、オンラインで初めて参加された方から応援メールをもいただきました。仙台高裁に移ってから、ますます支援の輪が広がっていることを実感しております。

『公正な判決を求める署名』は約千筆が集まっていますが、裁判所にインパクトを与える数にするために、今回は提出しませんでした。第3回控訴審期日は518日(水)午後3時です。それまでの署名のご協力をお願いすると共に、次回も、現地でまたオンラインでつながっていただきたいと願っております。引き続きのご支援を心よりお願いいたします。

 20222月 子ども脱被ばく裁判の会

井戸弁護団長からの報告

2022/2/14子ども脱被ばく裁判控訴審第2回口頭弁論期日報告
弁護団長  井 戸 謙 一

1 今回、私たち控訴人側は、準備書面(3)~(6)を提出しました。(3)は、国の答弁書に対する反論(「年1ミリシーベルトの被ばくをしない利益が法的保護に値しない」という国の主張に対する反論部分もあります。)、(4)は、福島県の答弁書に対する反論、(5)は、裁量論を論じたもの(原判決が行政の行為をことごとく裁量の範囲内であると是認したことを批判したもの)、(6)は、国際人権論を論じたもの(行政の裁量の有無、幅を検討するに当たり、国際人権条約を解釈原理とすべきことを主張したもの)ものです。このうち、(5)については、「未完成」であったことから、裁判長は、完成させてから正式に陳述してほしいと述べられ、今回は正式な陳述の扱いにはなりませんでした。
2 国は、控訴人らによる「被災者の知る権利」の主張に対し、反論を拒否しました。福島県は、被災者が「知る権利」を持つことを一般論としては認めました。被告福島市、郡山市、いわき市は、控訴人らの主張に対する具体的な反論を拒否しました。
3 控訴人らが行政訴訟に国家賠償請求訴訟を追加したことについて、福島市、郡山市、いわき市から、違法であって許されないという主張が出ました。裁判所からも問題点の指摘があり、次回には控訴人側からこれらについて反論することになりました。
4 裁判所から、行政訴訟のうち、現在の学校施設で教育活動をすることを差し止める請求は、地方自治体の学校指定処分とどのような関係になるのかという質問がありました。これについて、次回までに控訴人側から説明することになりました。
5 原告のお父さんの意見陳述がありました。無用な被ばくをさせられてしまったため、自分や子供たちに何か体調が悪いことがあると、被ばくと結びつけて考えてしまうという苦しさ等について述べられました。
6 被控訴人らが控訴人らの問題提起にまともに応答しないという姿勢には変化がありません。あとは、そのような被控訴人らの姿勢に対する批判も含め、控訴人らの主張を裁判所がどのように受け止めるかが重要であると思っています。
7 今回も多数の方が傍聴に詰め掛けていただきました。ありがとうございました。5人の元首相が欧州委員会に送った書簡中に、「多くの子ども達が甲状腺がんで苦しんでいる」との一節があったことを理由として、政府、自民党、一部野党、福島県等から5人の元首相に対する激しいバッシングがなされています。彼らは、福島原発事故による住民の健康被害を絶対に認めたくないのだということがよくわかります。この裁判の意義が改めて浮き彫りになったように思います。気を引き締めて進んでいきたいと思います。

以上

控訴人意見陳述

子ども脱被ばく裁判 第2回控訴審期日 原告意見陳述 2022年2月14日                     

 控訴人のAです。私は、福島原発事故に対する基本的な誤解についてお話ししたいと思います。

 未曾有の地震と想定外の津波によって、予期せぬ原発事故が発生したという説明が流布されています。しかし、これは大きな誤解です。地震・津波による原発事故は想定されていましたし、それゆえに耐震補強や防潮堤かさ上げ工事が進められ、それらの工事によって事故を回避できた原発もありました(たとえば、東海第二原発)。

 原発事故を想定していたがゆえに、原発事故が起こったときにとられるべき対策も詳細に決まっていました。これらは、1999年のJCO事故以降、(それ以前から存在していた原発事故対応のガイドラインも含め)原子力災害対策特別措置法を頂点とする「原子力防災」という一連の法体系としてまとめられました。

 私が主張したいのは、国や福島県がこうした手続きに従わず、私たち住民に被ばくを強いたという事実です。地震から2時間足らずの間に稼働を始めていたSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータは、本来、緊急時の住民避難に活かされるべきものですが、これが公開されたのは原発事故から10日以上経った2011年3月23日です。当時、SPEEDIを管理していた原子力安全技術センターは、3月11日深夜からはメール添付で、3月13日朝にはFax30枚以上を福島県庁に送りましたが、それでも福島県は、このデータもまた公表しなかったのです(2011年5月の福島県議会でも追及)。福島県は、放出源情報がなかったため公表できなかったと説明していますが、この説明はまったく成り立ちません。事故対応の指針(「緊急時環境放射線モニタリング指針」)には放出源情報がない場合も想定して対応が記載されていたからです。

 放射性物質の拡散予測だけではありません。実測の面でも情報の隠蔽とデータ取得の妨害が行われました。福島県原子力センターの職員は、震災翌日(2011年3月12日)の朝から、上記の「指針」に従い、福島第一原発の近隣まで行って環境中に放出された放射性物質の実測を行っていました。3月12日には5カ所で、13日には10カ所でのモニタリングが行われましたが、その後、文部科学省からストップがかかったと、当時実測に携わっていた阿部幸雄さんが証言しています(NHKスペシャル「空白の初期被ばく」で、阿部さんは、「外に出ないではモニタリングはできないでしょう、私らだけでも出してください」という話もしたが、文部科学省側は認めなかったと語る)。

 その結果、原発事故による汚染の最も深刻であった3月14日から3月17日の実測値を欠いています。文部科学省側は、「まさに事故があったその時あるいは数日間、最初のクリティカルな数日間にマンパワーが投入されるべきであったんだけど、そこまで人数が立ち上がるのに数日間が過ぎてしまった」という、およそ的外れな回答をしています。3月12日、13日と、現地での「指針」に基づくモニタリングは行われていたので、マンパワーは立ち上がっていたわけです。それを制止しながら、その理由を説明できないのが文部科学省です。

 結果として、被災地の住民は、放射性物質が大量拡散した事実も、原発がメルトダウンした事実も、避難の方法も知らされないまま現地に取り残されたのです。つまり、住民を被ばくから守るという原子力防災の目的は、それを担う行政側の不作為や妨害によって、達することができなかったのです。私たちが無用の被ばくを強いられたと主張する所以です。この点について、住民8,000人から10,000人を汚染の深刻な津島地区に避難させてしまった、当時の馬場有浪江町長は、「ほとんど『殺人』に等しい」と述べ、「町は試算結果が伝わらなかったことで無用の被ばくを受けた」と国や県の対応を批判しています(『福島民友新聞』2012/4/12)。

 さらに、驚くべきことがあります。2011年3月末に、福島県教育委員会は、県内諸学校の4月6~8日からの授業開始を、放射線量の測定もせずに決定しました。「測定もせずに」というのは、保護者の心配に配慮して、4月5日に放射線量の計測を始めるという記事が載ったからです(『福島民報新聞』2011/4/3、『福島民友新聞』4/5)。

 同じころ、文部科学省は、原発から30km以遠(避難区域外)の浪江町赤宇木において3月23日からの積算線量(=最も汚染の深刻な時期のデータが含まれていないことに留意)が10mSvを超えたことを発表しました(『朝日新聞』2011/4/5)。翌日には、原子力安全委員会が放射線量の高い地域の住民の被ばく限度量について、従来の年間1mSvから20mSvに引き上げるべきか検討を開始しています(『同』4/6)。このことは、避難区域外で検出されている高い放射線量に対し、避難区域を拡大するのではなく、避難区域を拡大しないために被ばく線量限度の方を引き上げる方向で解決しようとしていることを示唆していました。4月10日には、文部科学省が児童生徒の被ばく限度を年間20mSvとする方針だと報じられました。これは、避難区域を拡大させないため、さらに子どもにまでこの基準を適用するということを意味したのです。こうした方針に対し、小佐古敏荘内閣官房参与が涙の会見を開いて辞任したことはよく知られています。

 小佐古氏は、会見で「法と正義」「国際常識とヒューマニズム」に則って原発事故対応をするべきだと主張しています。政府の対応はそれらのいずれをも欠いていたと、政府内部にいた人物が訴えているのです(小佐古氏は、「年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです」と述べるが、福島県では現在もなお、避難指示も避難解除も、年間20mSvを基準に行われている)。

 住民の被ばく線量限度だけではありません。被災者のスクリーニングレベルや食品の残留放射線限度(いわゆる食品の安全基準)、放射性廃棄物の規制値など、さまざまな基準が、「事後的に」作り替えられました。安全基準を事故の後に変更するなど、法治国家の行うことでしょうか。

 このように、政府や福島県は、原発事故当初は情報を隠して住民の避難を妨げ、のちに汚染の深刻さが明らかになってくると、今度は(避難区域を拡大するのではなく)住民の被ばく線量限度の方を引き上げたわけです。それらがいずれも法令に反し、正義にも反し、国際常識にもヒューマニズムにも反するものであったことは、いうまでもありません。

 その結果、被災地の誰もが、私も含めて、自分がどれほど被ばくしたかを知らず、それゆえ、健康不安を抱えたまま事故後の10年間を過ごしてきました。風邪が長引いたとき、喉が痛むとき、身体がだるいとき、「これって、もしや…」と思うわけです。こうした日々がどれほど耐えがたいものであるか、想像してみていただきたいと思います。被災地には、我が子の健康や将来のことを心底心配しながら、そのことを口に出しては言えない多くの人がいます。誰がそういう社会を作ったのでしょうか。法令に反し、正義にも反し、国際常識にもヒューマニズムにも反する行いを、見て見ぬふりする人たちが作ったのではありませんか。

 こうした現状に対し、今こそ、被災地に押しつけられた理不尽の数々を取り除き、不正を改めるときではないでしょうか。裁判所の適切な判断を、切に切に願っています。

以上 

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